第69回全国都市問題会議
概要
平成19年10月11、12日 静岡市民文化会館
第1日
開会式
基調講演 新しい時代の都市と人間
奈良県立万葉文化館館長 中西 進氏
主報告 「きずな」がつくる新たな地域社会
静岡市長 小嶋 善吉氏
一般報告 もっとご近所づきあいをしましょうよ
NHKアナウンサー 堀尾 正明氏
市民力を結集する大分新時代のまちづくり
大分市長 釘宮 磐氏
徳川家康のまちづくりひとづくり
静岡大学教育学部教授 小和田哲男氏
第2日
パネルディスカッション 「分権時代の都市とひと〜地域力・市民力〜」
コーディネーター 法政大学法学部教授 名和田是彦氏
パネリスト ローカル・ガバナンス研究所所長 木原 勝彬氏
認定特定非営利活動法人 言論NPO代表 工藤 泰志氏
株式会社いろどり代表取締役副社長 横石 知二氏
埼玉大学大学院経済科学研究科教授 後藤 和子氏
北海道伊達市長 菊谷 秀吉氏
東京都多摩市長 渡辺 幸子氏
閉会式
※以下、文責はうちだにあります。
※添付の会議資料に、活字になった発言趣旨が掲載されていますが、ここでは当日の発言
聞き取りを中心に報告します。
会議の詳細
基調講演 新しい時代の都市と人間
○日本文化の特徴
@緯度20度にわたる、東西よりも南北構造が大事。そこでは「中庸」を重んずる
文化が育った。
A楕円運動(カム運動)。普通は同心円であるが日本は江戸と京都で中心が二つ。
昔から一極の国家ではなかった。
B「藩」による有効な分治がなされ、典型的な地方分権の国家だった。このことから、
地方分権なくして成り立たないのが日本である。
例えば道州制、大学の准教授制、秋開始の学期制など、何でも米国の方を向いている
が、それらはグローバルなものではない。日本には昔から立派な地方分権があった。
○1868年、江戸開城。勝と大久保。
勝:日本は救われたかに見えるが、江戸は中心でなくなる。町民の生活は成り立たない。
大久保:では天皇に江戸に移っていただこう。
江戸は権力に依存した町。京都と江戸は明らかに違う。そのまま140年、立派に成り
立ってきた。
江戸時代、天皇は京都にあったが、天皇家と付随している生活ではなかった。町民の文
化力で運営されたのが京都。天皇はいたが統治していなかった。江戸は統治していた。
「君臨すれども統治せず」であった。
○王道と覇道〜市長は王道か覇道か〜
中国の昔話。ある日王様が、町で子どもがこのように歌っているのを聞いた。
「生活は満たされている。王様なんていらない」と。
これを聞いて王は「これでいい」と考えた。
王は象徴。人格・品格を要する。徳川は覇者、天皇は王道。
江戸の主役は役人、京都の主役は町衆であった。
江戸は幕府がなくなると潰れる町。京都は天皇がいなくなっても困らない町。
「文化力」が京にはあった。その中心が天皇だった。
新憲法よりずっと前から、天皇は象徴だった。
「天皇とは、勉強する、和歌を創るのが役割」と、徳川時代に明言されている。
○80年の帝国時代を経て、天皇は再び「象徴」に
徳川は政治を行い、各藩を痛めつけたが、藩は健気だった。
統治vs君臨 覇道vs王道 政治vs文化 江戸vs京都
この構造が地方の都市の自立にとても参考になる。
京都は古いだけではない。文化、経済、あらゆるものの「ターミナル」だった。
モダンアートのステージであり、時代嗅覚が鋭く、「そこで成功すれば一流」とされた。
江戸もまた東のターミナルであった。
が、東京はターミナルではない。
東京はアートのターミナルたりえているか? 否。
ニューヨークやパリがターミナルであるのに対し、東京は「パッシングキャピタル」に
すぎない。
○堺市での庁舎建設の事例
某教授が「時計台・広場のある庁舎を」と提言。
私は大反対。それは中世だ。時間の管理が役所の義務だった時代の庁舎だ。今はアクセ
サリーに過ぎない。時計台をやめて「天秤」(公平さを象徴)にしてはどうかと提唱。
また「広場」とは、赤の広場、天安門前のように、民衆をコントロールする必要がある
場合のスペースだ。広場でなく森にしよう、バザールにしよう、と提唱。
森は憩いの場、バザールは売買の場。憩いと売買の場にしよう。
○「都市」とは
「市」の字は、動詞で読むと「かう」…経済、売買するところ、との意。
買う…exchange…損をする行為
売る…得る…トクをする行為
得をして生活が潤う、という意味が、「都市」という語にはある。
市…マーケット…コミュニケーションが行われる場。
コミュニケーションの原意は「共に食事をする」ということ。
広場は思想を統一する場所。森やバザールとは全く違う。
「人間」がクローズアップされること、「人の和」を尊重することこそ大事。
○「近江」という地域に学ぶ「移動性」
近江商人は何故発生したか。近江では農耕が年の半分から3分の1。あとは働かなくて
いい。そこで農閑期には商人に早がわり。「定着性」を破った。
琵琶湖のほとりであったからこそ可能だった。
不破の関は文明の十字路、トルコのようだった。
遊んでいる間に行商しよう。しかも近江商人の手法は現代のカタログ販売。通販の元祖。
これは驚くべきこと。
近江は「農商村」。定着性+流通性=リッチ
このことは松阪商人にも共通。津という港があったからこそ発展。富を蓄積できた。
流通性、移動性が「風通しの良さ」となり、生産性を高める。
○日本の観光政策の遅れと「地の利」
日本の観光政策の遅れが指摘されているが、いつでも、どこへでも、誰でも行けるとい
うことにのみ価値を見出すのは最近の美学に過ぎない。
Buisit Japanキャンペーンが盛んだが、ホリゾンタルな発想だ。
配給制度によって日本人は初めて白米を食べられるようになったことを想起せよ。
日本では、山に行くのに1日も2日もかかるんです…それでいい。
太いバス道路を作る必要はない。
京都は山の町、大阪は川と水の町、東京は坂の町…それぞれの良さを重視すべき。
「場所」を除外しては成り立たない。
○堺市の持つ「ストーリー性」
鉄砲、刃物、自転車、利休の茶…
江戸時代の南宗寺、近代では与謝野晶子「みだれ髪」…今世紀開幕で人間の開花。
千利休にとって秀吉は「新人類」だった。「刀を捨てなさい、文化は高まりますよ」と進
言し、切腹させられた。
フィンランドは幼児教育で世界一。ここにもストーリー性、ヒストリー性がある。
ストーリー性があると人間は安心する。
○立山の芦倉の博物館
そこに幕末の旅行家、菅井真澄のパネル展示があって驚いた。
昔、高山や富山の殿様は信仰心篤く、森林や木を大切にした。
そこに信濃から来た勢力が木を切りまくり、他国の者に取られ、ミョウバンの産地も他
国のものとなってしまった。
「地勢」とは素晴らしい言葉だ。「地の利」、大地の利益や恩恵を生かすべきだ。
以上、まとめると@人の和 A風の力 B地の利 が大切である。
主報告 「きずな」がつくる新たな地域社会
○静岡市の紹介。人口71万人。
○市民活動の促進に関する条例
7、8条は前向きに市民が盛り込む。「協働市場(いちば)」、「協働パイロット事業」の試
行をH16から。1件50万円。テーマ部門、自由部門。
H17実績例として、小中学生向け喫煙防止講演会の開催やアドプト制度
・河川環境アドプトプログラム(H18〜)
清流保全条例施行→市民の自発的活動が必要。市民は「自分の庭のように」。
H19では96団体9135人が参加。安倍川は「水質日本一」に。
・道路サポーター制度(H18〜)
清掃、軽微な補修、危険箇所通報をしてもらう。
14グループ、1546人が市と契約している。
・NPO法人認定事務
全国初。県から認証事務の権限の委託を受けて実施。
市民活動が把握できることがメリット。市からの提案もしやすい。
年に300〜400件の相談が寄せられる。
○市民との協働事業の進展
協働事業はH15、66事業→H18、97事業と伸びた。
@自主防災組織とその活動
すべての地区で自主防災組織整備
組織は、市本部→区本部→地区連合自主防災会→単位自主防災会(100%)
市民の意識と知識が欠かせない。そこで、「自助・共助の仕組みづくり」を。
・防災指導員制度の導入
・技能者育成で3000人受講
・三者会合(学校・地元・行政)
・防災意識高揚への施策
普段のコミュニティが重要。強い地域の絆づくり目指す。
AS型デイサービス事業(Sとは静岡独自)
市民ボランティア2000人で完結、市職員は入らない。ボランティア育成も行う。
介護認定前の人、サービスの谷間の人を対象とする。
高齢者を中心に、社協・民生委員・ボランティアが三角に囲む図式。
いざ災害のとき、どこにどのようなお年寄りがいるのかわからないといけない。
関係者が一体となって機能する組織体。
B大道芸ワールドカップin静岡
市中20箇所に会場(演技ポイント)、4日間で221万人の人出
市民ボランティアによる組織が主導。市は後方支援。予算と渉外のみ担当。
民間ならではの発想を生かす。通訳もボランティア。
大道芸カレッジ、デザイン学校とのインターンシップで実現。
今年16回目。6回目からは完全民間主導に。
駿府公園からまちなかへ。町中を「面」として使う。
市民とパフォーマーとのふれあいが盛ん。地元企業の協賛も集まるようになった。
C大御所四百年祭
1607年。家康公の都市計画は駿府+清水港=今の静岡市。一体感の醸成。
「家康公の夢の町」駿府をアピール。市内外へのシティセールス。
郷土愛の醸成に結びつける。
・シンボル事業「大御所スタイル」 40×8mスクリーン大型映像「大ゴショー」
・市民参画事業
・連動事業 朝鮮通信使、日韓交流親善…家康も力を入れたことから。
・関連事業
・学びの事業 学びのHP、クイズ形式。小冊子、エピソード集
江戸の知恵に学ぶ市民講座シリーズ
ちなみに「安倍川餅」の命名者は家康
○さらなる協働
人と人の絆こそまちづくりの原動力。広い地域、過密と過疎の両面を持つ静岡市。
問題解決のキーワードは「きずな」である。
一般報告 もっとご近所づきあいをしましょうよ
○美意識
アナウンサーのネクタイについて視聴者からクレームあり。
これからは行政・議員にも「美意識」が必要だ。
○テレビ「ご近所の底力」
番組の発想は「昔の日本」。
近所のしがらみ、干渉は当たり前。ご近所に育てられた自身の経験。知らないおばさん
も母親だった。プライバシーなんてなかった。冷蔵庫を買ったことも子どもの成績まで、
ご近所は知っていた。
欧米化でご近所の解決力は弱くなった。
市民の要望は一致せず、多様化。行政がいちいち対応できる時代でなくなった。
市民が手を挙げ、行政にバックアップしてもらう時代となった。
これからのテレビのニーズとして、ニュース性、エンタテイメント性に加え、「ひろば」
としてのテレビやメディアが期待される。
「底力」の番組では150本中15件が解決を見た。これがひろばとしての機能。
○「第1回放映」を例に
放映から1ヶ月後、追跡調査を行った。
・あいさつしていれば犯罪は半減(神戸)
・派手なユニフォーム、よそ者がパトロールして効果(明大前)
・もと空き巣が講演と実地チェック(春日井市)
もと空き巣に言わせれば、「猛犬注意」は「大歓迎」。吠えない犬は不気味。
エサに飛びつく犬は防御にならない、など。
(上映15分)
放置自転車は窓から侵入するための梯子に使われる。
防犯ポスターが掲示板でひらひらしている。意識がない証拠。
あいさつ運動を始めたが、根付かない。一人だと無視され、虚しく、ヘンに見られる。
そこで「あいさつパトロール」を開始したが反応は悪く、人集めにも苦労。
それでも年100件の被害届から翌年、届けゼロを達成、知事から特別表彰。
その後3年を経て被害再発。
今度はポスター作戦「ここは被害多発地域」、警視総監賞。全国講演へ。
若い人たちは自治会の集まりには来ない。重鎮が「ムリ」を言うと皆、黙る。
地縁でなくテーマで集まる。「よし、試してみよう」となる。
昔、おまわりさんがしていたことを、今、住民がやるということ。
行政に最初から頼るのでなく、「こういうことをやるから、行政も助けてください、PR
してください」という行き方。
○四日市市のバス路線廃止の例
全国で交通不便地域が増え、300路線が廃止された。民間は「儲からない線は廃止」。
四日市市では住民が出し合い「応援券」を作った。
岸川線は住民がコンペで復活させた。
○その他
「空き巣」対策をきっかけに集まった人々がまちづくり全般に活動を発展させたところ。
町中セコムのある町(佐賀市)もある。
市民力を結集する大分新時代のまちづくり
○市政オープン宣言
市長になり、まずやったのは職員の意識改革。指示待ち、補助金執行の「下請け意識」。
・ティートーク
市長と職員の対話。庁内の風通しを良くする。
17時以降で実施。これまで117回。全職員の8割、2800人と対話。
これを通じて中央への依存体質から脱却。政策立案能力、限られた財源、コスト意識。
職員から提案も出るようになった。
・アントレプレナーシップ事業(起業家精神)
提案が採用されれば予算と人員を提案者にくれる制度。20代後半〜30代前半職員。
・フロアマネージャー
「デパートより対応がいい」と評判。「市役所は変わった」「職員は変わった」と。
・その他
課長昇任試験の実施、専決区分の見直し、分権型予算制度、大分市仕事宣言(部局長
のマニフェスト)
部局長は当初、ほっておいてもできるような数値目標しか出さないが、改善していく。
○お出かけ市長室
こうして市長は時間を作り、市民のところへ出かけるようにした。
年97回開催、1万人参加。
市民は当初「あなたの仕事は国からカネを取ってくることだ」と理解していたが、4年
間で市民の意識は変わり、理解が深まった。
○市長交際費オープン
当初600万円→150万円に縮小→現在は全部返上。おつつみなし、が定着。
○財政中期見直し発表。危機感が市民に浸透。この危機感から、給食調理場の民営化論議
では、市民が味方になってくれた。
○市民政策提案制度
800人のボランティアで違反広告物撤去
「ライフパル」市民活動の拠点
○5つの重点政策
@日本一きれいなまちづくり
「よそとはちがう」差別化が必要。
市長は毎朝、ゴミ袋と火バサミを持って自宅を出る「ごみひろい市長」。
月1回、庁舎周辺清掃を職員に呼びかけ。
7時30分から250人で始めて、現在500人に。
さらに毎月5、10、15日は職員がゴミを拾いながら通勤。
これが市民に伝播。市と市民との一体感高めた。
一斉清掃74000人の北九州市のギネス記録に挑戦。「こみ拾い大作戦」。
まず670自治会に説明したが、すごい反発が来た。「何でも市民にやらせるな」、
「職員は何をやっているのか」と。
部長はできない理由ばかり並べる。市長「どうやったらできるかを考えよ」。
ギネスの要件として3000人の立会人が必要。職員から募集で1600人。その先の評判
が悪い。職員が自宅でビラ配りを始めたところ、自治会長がガラリと変わった。
当日はもうゴミが落ちていない。草まで取る賑わい。現在の参加人数を選挙速報のよ
うにラジオで流すことにした。
朝7時スタート、8時には7万人超。最終14万7千人でギネス達成。
この後、市民から「ごみポイ捨て禁止条例」、「放置自転車条例」、道路里親制度、公園
愛護会、河川愛護会などの発案が出た。ポイ捨て条例では防止指導員がパトロールを
行い、罰金は2000円。河川愛護会は現在127団体、3300人の規模。
市民力結集へ、隣近所支え合いの機運が高まっている。
A地域コミュニティの再生
地域まちづくり活性化事業、地域力向上推進事業、ご近所の底力再生事業 の3本。
「まちづくり活性化事業」では最高額1000万円、計6300万円の予算立て。コミュニ
ティ担当職員の配置。地域住民が企画立案。当初はそれに抵抗もあった。
「地域力〜」は「手挙げ方式」。校区間の競争。全体の8割、558自治会が防災訓練を
実施。
B市民の健康づくり
大分市健康ネットワーク協議会を設立。
医療負担の増大で、このまま何もしなければ投資的経費はゼロになる、という危機感。
そこで健康指導者養成講座を開催。指導者がコミュニティで教室を開催する。今後の
医療費縮減に期待している。
明年、健康推進委員制度の設立を目指している。
C安全・安心のまちづくり
自主防災組織を全自治会に。現在は77%の組織率。
全組織に防災士を育成。そのために受講料(1人5万円)を市が負担。
現在248人の防災士が誕生。団塊の世代が最適任。人材を探す。
「かた昼消防団」。「かた昼」とは半日のこと。中学生を対象。
広報、炊き出し、消化訓練などを体験してもらう。その中から消防団入団希望者も。
D地球環境保全の取組
ゴミ8種分別を徹底
今後CO2削減市民会議を市民+企業で立ち上げる予定。
○まとめ
今年、「地方政府」という言葉が明文化された。第二期分権改革の成功へ、地方が団結し
つつ、積極的かつ大胆に取り組むことが必要だ。
徳川家康のまちづくりひとづくり
○徳川家康は人質時代11年、豊臣臣下の大名時代、そして大御所時代、通算25年、
75年の生涯の3分の1を静岡で過ごした。
人質時代と言っても自由に学問し、読み書きだけでなく論語、孫子、六韜三略などを
広く学んだ。
○家康のまちづくりの特徴は商人を参加させていること。普通は武士がやる。
○1590年から江戸のまちづくり。茶屋四郎二郎(京都の豪商)を参画させた。呉服商でか
つ武器商を兼ねる人物。→商人のことは商人がもっともよく知る→官民一体
○1607年入城。江戸は駿府から180km。本音は国堅固の土地として。
大阪には秀頼、淀がいる。防波堤の働きをする。
○江戸はそれまで漁村にすぎず、商人はいなかった。茶屋に任せるまちづくり。
これとは対照的に、駿府には今川時代から町があった。ドン・ロドリゴ著の見聞録には、
江戸人口15万、駿府12万とある。実のところは7〜8万か。当時の人口順位は、@京
A江戸 B大阪 C駿府ではないかと思われる。国の全人口1500万人の時代。駿府は発
展していた。
○駿府のまちづくりの特徴は、川の流れを大きく変えたこと。
安倍川は、現在の駿府の真ん中を流れていたところを水郷から陸地に変えた。これが「薩
摩土手」である。
町の西側を流れるようにしたのは、大阪に対する外濠の役割を持たせた。
今川時代は武士と町民が混在して居住していたが、武士と庶民を区分して住まわせるこ
ととした。そして職業ごとの町名とした。呉服町、両替町、大工町…。駿府の両替町が
東京銀座のルーツだ。
○国際貿易都市「駿府」の誕生
江戸時代は鎖国していたと言われるが、実際には鎖国とは言えない。議論がある。むし
ろ「貿易統制」とでも言うべき程度であった。
むしろ家康の時代はわが国の「大航海時代」とさえ言える。出て行くところは長崎と堺
だが、コントロールは駿府で行っていた。朱印状の申請は駿府で行っていた。
世界に開かれた町、駿府であった。
外国人は迷った。秀忠のいる江戸と家康のいる駿府と、どちらが偉いのか?と。
外国からは、家康が皇帝、秀忠が皇太子と認識されていた。
○統治のポイント
ブレーンを左右に置いた。
部門ごとのエキスパートを駿府に置いた。幅広い人材。町人も含む。
各地の奉行は江戸でなく駿府としきりに往来した。
○文化面での展開
家康は学問好き。林羅山など起用。戦の世から「これからは武から文」と切り替え。
林羅山と家康のコンビで駿河文庫(私設図書館)を作る。武将では例がない。
○人材登用
「犬のように忠節な」三河時代からの家来だけでなく、大久保長安(石見の守)に金山銀
山を担当させるなど、「こいつは使える」と思ったら出身に拘わらず登用。今川、武田か
らも抜擢。適材適所。これは信長から学んだこと。
信長流。秀吉の才能を会話の中で見出した。前田には武闘仕事を、秀吉には口工作の仕
事を、と使い分ける信長に、家康は学んだ。
「忠臣の子が忠臣になる」との信念。天目山の戦いのエピソード(俗説)。
武田勝頼の重臣、正恒は切腹。「忠臣の胤」正恒の子を、家康は探し出して登用。
「三河三奉行」それぞれの特質を最大に活かす人材配置。
「徳川実記」(言行録)より「人づくり」について。
@ややもすれば己の好みに引かれ…お気に入りで周りを固めるな。
A総じて、上役に追従せぬ者に人材は多い。
これは家康がある人物について土井利勝に尋ねたところ、「その人は出入りしてない人な
のでわかりません」という返事だったことに対する家康の発言。
パネルディスカッション
○伊達市長
北海道の経済は二つの「カミ」に支えられている。ひとつは「おカミ」、もう一つは「自
然の神」だ。
明治の大合併で、人は道の中心に集まるようになった。周辺部の声を選挙で聞く。
バスの便が少なく、町に行けない。
住民は何でも「官でやれ」と言うが、官にはカネがない。
そこで私は「なるべく民の力で」と言ってきた。
市民の力を借りようと「文化研究所」を作り、400人のボランティアが結集。「環境と文
化」をキーワードにした。
地域経済が再生しなければ市民の自信と元気は出ない。
○多摩市長
H1〜3 企業や大学の誘致をやった。
H12 企業の撤退。
H13、14 住宅を誘致、企業に奨励金、多摩センター、多摩のシンボルにハローキティ
で成功。現在、都内有数のイルミネーションが脚光を浴びている。
日経グローカル誌で「市民参加度全国一」となった。その背景として、
S61 1次行革大綱の段階で市民参加をうたう。
H1 第3次総合計画で市民、民間、行政の協働の理念を明確にした。
H14 市民案提案による自治基本条例制定。
H15 12月議会で議会修正案。「最高規範」の字句を入れた。
私は30年の市職員の後、市長になった。
役所の中にはもう削りようがないことを知っている。
そこで選挙で「役所を小さくします」と。
これからは市民の活動をコーディネートするのが市役所であり、「新しい公共」だ。
○木原 ローカルガバナンス研究所所長
地域の問題解決力、サービス供給力、規範形成力、協働力、この4つがポイント。
行政のタテ割りで、テーマ型地域団体も分断される。
自治会は役所の下請けという意識がある。
議員は、自分が代表だという思いがある。
全国には53団体190地区の「地域自治区」があるが、行政主導が色濃い。それ以外にも
行政主導のものが多い。
神戸の竹の台の例。3000世帯9300人の地域にたくさんの団体が錯綜して存在。
自治会=地縁型組織とテーマ型団体との相互理解を深めるための新聞を発行した。
これを協働へのステップとし、ここから新たなコミュニティ組織が創設された。
じっくり親睦しながら進めるのがよい。
議会については、行政と住民の間において、住民団体が行政の下請けになっていないか
を監視することが求められる。
○工藤 言論NPO代表
「市民市場」の成立がこれからの課題だ。
市役所と競争するほどの「市民の力」が出ることだ。
政策評価も民間がやるようになればいい。
ローカルマニフェストの評価基準を示すことが大事だ。
デビット・コーテン(米)によると、
最初は公共サービスのケアとして、NPO、NGOが存在した。
やがて国や地方行政に提言できる力、さらに世界へ提言できる力を持つようになる。
知的ワーカー、スキルを持つ人が人生を考え、社会に貢献できないまま漂流している。
さまよっている知的ワーカーをつなげていくことで、これからの地域コミュニティは発
展できる。
官の下請け組織でなく市民主導になっていくこと。
たとえ政治がダメであっても力を持っている市民社会が日本にはある。
○横石 いろどり副社長
コミュニティづくりの基盤として経済力が必要。
まちは会社だ。地域資源の発見と開発に焦点を。
「この人に仕事ができたらいいなあ」という思いで、これまで仕事をしてきた。
地域資源は住んでいる人にはわからないものだ。
他人事と思っている人はダメだ。
ゴミの32分別を通じて「そんなことは行政がやること」ではなく、
「まちをきれいにすると、葉っぱが売れるよ」と言えば、自分のことだと思い、苦にな
らない。やらされていると思うと苦になる。
「仕事をつくる」ことはいいことだ。仕事を始めると医者に行かない。年間30万円の医
療費を節約へ、上勝町では老人ホームを閉鎖した。その意味で「産業と福祉は一体」。
仕事を作って社会福祉費を減らす。
どうしたらできるか。「よそ者」「Iターン組」を集めることでできる。
「自分の出番はここにある」と、地域交流を図ることで、好きな人、関わりたい人が増
えれば、まちはよくなる。
「関わりたくない人」が多いと、まちはよくならない。
都会にいるそういう人をどんどん受け入れる。風を入れることが大事だ。
上勝町でなければできない「仕組みづくり」にこだわることで、生活習慣が変わり、町
が元気になった。「個」を磨いて、まちがよくなる。
キーワードは「産業福祉」。
○後藤 埼玉大教授
「文化経済学」をやっている。
一人ひとりがクリエイティブになることで、文化は発展する。
「文化力」とは何か。クリエイティブインダストリーがキーワードだ。
誰のための地域か? 誰のための文化力か?
地域のために個人がある、というのは逆転。ひとりが生き生きしているために、文化が
ある。
自己決定領域を広げるのが市民活動の意義だ。文化的自立とも言える。ここから「文化
権」が問われることになる。
分権時代の地方自治体の文化政策こそ大事だ。
○木原
「地域自治システムの全体像」、地域再生支援機構についての補足説明。
これまでの助成の概念を超え、専門人が「メシを食える」機関にしていくことだ。
地域自治システムの実例「ファンド化」
・個人市民税の1%相当を市民に使う:市川市、高浜市
・市民税全体の1%相当を市民に使う:太田市(4500万円)、小田原市(1億円)
奈良市の市民税300億円×1%=3億円をファンドに。
ファンド化は「バラマキ」でなく投資である。
○横石
行政は何か立派なカタチを作ることにこだわる。
コンサルにカネを支払ってすごい総合計画を作ったりする。
そうした「カタチにこだわる」傾向があるのではないか。
「カタチ」よりも現場の目線が大切だ。
現場の目線で、カタチは出来上がっていくべきだ。
全国でパソコン教室もいいが、おばあちゃんが「どうしても見たい」と思うようなパソ
コンのコンテンツを準備すること。そうすれば何としてもおばあちゃんはパソコンを習
おうとするものだ。それはカタチではないのだ。
○多摩市長
H18年4月に市民活動情報センターを駅前に開設。直営。市民活動をコーディネート。
スタッフ11名、10〜19時。
ここには特に優秀な市スタッフを投入している。その職員が本庁の意識まで変える。
市の仕事をゼロベースで見直し。
公募型補助金のプレゼンテーションでは、市民による審査員が審査。
年間15件、1000万円。
昨今「市民同士の協働の芽生え」がある。
PDCAサイクルのうち、Cの部分に市民が参加することに、多摩市は取り組んでいる。
○伊達市長
北海道はみんな、「負のスパイラル」だ。
老人は増えても老人クラブへの加入者は減っている。それは魅力がないからだ。
さらにそれは、リーダーに魅力がないからだ。
しかしそれを誰も言えないのが現状だ。
そこに自信を持たせることが、今の取組だ。
人口3万7千人。市役所は市内最大の企業だ。人材確保が課題。
合併説明会を32回やって300人しか来なかった。
皆、自信をなくしているということなのか。
○会場からの質問「小さな集落での市民力はどうすればできるか」
○伊達市長
助成金を切ることをやってきたが、これからは文化活動に助成していく。
ここで問題は議会の役割だ。市民の声を議会はどう集約するのか。
29次地方制度調査会答申における議会のあり方について注目したい。
○多摩市長
市民活動への助成については議会の決算委員会でも積極的な審議が見られた。
これからのNPO等への補助は、補助でなく委託になるべき。
新しい公共の中、対等関係でのサービス創出という形になるべき。
新しい予算のあり方を模索すべきだ。
「多摩市発元気高齢社会」を全国に発信するつもりだ。
15年先の高齢社会は怖くない、と。そうした社会へ、市民との「協働協定書」について
もあり方を研究したい。
○木原
生活支援をメインとした市民活動が興隆すべき。
過疎地と都市間のスクラム、交流を考えるべき。
限界集落再生事業ができないだろうかと考えている。
時間をかけて、そうしたプログラムに対しても資金援助が考えられるべきだ。
「協働」の本質は、下請けでなく住民自治力の強化だ。
協働の中で、プロセスを大事にしつつ、行政から市民に委譲されていくべきだ。
これからの自治体は間接民主主義から直接民主主義へシフトすべきだ。
それを間接民主主義が補完する、というあり方になるべきだ。
団体自治主体から住民自治主体へ、逆転がなされるべきだ。
そこで議会は、協働型議会となるべきだ。
市民自治活動を議会が応援していくあり方。政策立案の立場で、課題を共有し、フォー
ラムを開いていく。協働型の政策形成により議会と行政が競うという、質の高いあり方
を目指すことだ。
○工藤
議会は今後、給料を上げて議員を少なくするか、または議員をたくさんにしてボランテ
ィアにするかのいずれかだ。
限界集落については、経済的自立が前提だ。非営利市民組織が官に「巻き込まれる」の
は止むを得ないことである。
サービスを何でも役所に任せてきたからだ。しかし、公益性とは何なのか、再考が必要
だ。
自分の時間を犠牲にし、善意で行動する団体に租税ベースでの支援をするところが出て
こないか、期待している。
官と民とのあり方について、国における設計が止まっている。
地方から、官と民との設計の制度提案が出てくることを期待したい。
○横石
限界集落とか過疎地域というのは東京中心の発想だ。
おばあちゃんが多いならおばあちゃんの仕事を作ることだ。
もみじの色を競うことは、東京ではできない。
学校がなくなることが一番よくない。地域づくりに学校はとても大切である。
そのためにも、産業がなければならない。仕事づくりが大切だ。
○後藤
01年に文化芸術振興基本法ができたが、1000億円で頭打ちだ。
研究者からは不十分の声が出ている。
中国や韓国はすごく力を入れていて、アジアで日本は置いてきぼりだ。
条例も、作って終わり、ではいけない。条例の実行には、専門家の活用が必要。
条例をこれから作るなら、「文化権」を盛り込んでほしい。
アートでプロフェッショナルが活躍できる場を作ってほしい。
アムステルダムで、ガス工場をアートの拠点に作り変えた事例。
製造業から知識産業へ。
EU資金はいいプラン、クリエイティブなアイデアを出したところに補助金を出す。
アイデアを競うような補助金のあり方があるべきだ。
新潟ではアートトリエンナーレや空き家プロジェクトでレストラン、震災の跡地もアー
ト作品にという動きがある。
アート+自然+棚田の景観といった動き。
文化力にはちゃんとした専門家のシカケが必要。オランダのアーティストが関わり、都
会から若者が来て、そこに地元のおじいちゃんも加わる、というあり方だ。
感想
市民団体、教授、そして行政の首長など、それぞれ各界の最先端の、感覚を研ぎ澄ました人々が次々と登壇。事例発表や理論展開に、たいへん濃厚な時間を過ごしました。
今回が69回目となる恒例の都市問題会議。会場でいただいた資料の巻末にはこれまでの開催経歴と各テーマが一覧化されています。それを眺めるにつけ、今回のテーマ「分権時代」ということが、避けて通れない今日的課題なのだと思い知らされます。
都市問題ということそのものが、土台から仕組みを変えていかなければならない時代だと思われます。「都市間競争の時代だ」という声を遠い砲声のように聞いてからすでに数年。いよいよそのまっただ中に、われわれはいるという実感です。
その象徴的な実例が、市民活動センターの設置ということに見られると思います。
大分市長も多摩市長も、こともなげに、名称は異なりますがそれぞれに、あって当然といわんばかりに、それを開設したことを語られました。
ちなみに参加者のうち亀野・内田は泊地である清水のまちを散策するうち、巨大なマンションの2階部分に大きく「市民活動センター」の真新しい看板を見つけました。マンションの2階部分を全部市が買い取って、奥を教育委員会に、前面を同センターにしたとのこと。夕刻を過ぎ、突然の訪問はあつかましかったですが、臨時の「視察」をさせていただき、予想通り、熱心な団体の皆さんがその運営に当たられていました。
分権時代、といっても、残念ながらそれは地方からの熱心な声によって到来したというよりも、要するに国にカネがなくなった、という、やや情けない形でやってきたと申せましょう。分権は、国から地方へということに留まらず、市役所内でも庁内分権が、そして地方から地方市民への分権へと、堰を切った水のように流れていきます。国から地方への流れが国発であったように、地方から市民への分権は、これは地方自治体がしかけなければならないという印象を持ちます。
今回の都市問題会議は静岡における開催であり、ちょうど家康公400年ということで盛り上がる場所を舞台に、同会議でも家康へのアプローチがなされ、興味深く拝聴しました。なるほど天才らしく、まちづくりをしたたかに進めたことを学びました。そしてそこに「町衆」を参画させた家康の先見性。しかしここで先見性と見えるのは「官」から見てのことであって、実のところ、市民が主役という本来の発想に立ってみれば、むしろまちづくりを行政が邪魔している、ということにさえなりかねないのではないかと思いました。
市民発の、有機的で総合的なまちづくり市民団体ができたとしても、役所のタテ割りの仕組みがその市民団体の活動機能を低下させる。そんな言説を、いかにもありそうなことのように拝聴しました。
「警察の犯罪検挙率はどうしてこんなに落ちたのか」という問いに対して、「それは市民が知らんぷりをしているから」という答えがあります。
「最近の学校の先生はなっとらん」という声に対して、「親こそ言うことが無茶苦茶である」という水掛け論もあります。
登壇したNHKのアナウンサーは番組のコンセプトを、「昔の日本を取り戻す」と言い切りました。まさしく、そこには防犯も学校問題にも、「解決力」があったと思われます。
日本は進化したのか退化したのか、と問いを発したくなるような現状。
昔の体制下なら、過酷な納税に対して住民は一揆を起こしたでしょう。今ならリーダーを選挙で選択するというシステムがあります。
さてそうなると、一揆を起こさない分、市民はリーダーたちに重大な付託をしているということになりましょう。
いま、発想を根本から変えて、というより本来の「市民主役」というステージを現出させるために、市民力を醸成するために必要なのが「市役所力」ではないのかと、この会議を通じて感じました。いな、さらに申せば「市役所職員力」であり、それを鍛え、市民に向かって発揮せしめることこそ、市長や議員という選挙で選ばれた代表の重大な、今日的な使命なのだと、あらためて痛感したことでした。
行政が財政に行き詰ったから市民に「下請け」させるなどはとんでもなく、本来市民ら自らが、「あのおばあちゃんは元気か」「不審な者はいないか」「子どもは健全か」と地域を見渡すのが自然であり、何でも「警察まかせ」「保健所まかせ」「市役所まかせ」といった風土はいっときの時代の風潮でしかなかった、と、これから市民が気づかなければなりませんが、しかしそれにはどうしても、綿密なシカケが必要なのだと思います。
そうしたことに、すでに着手している人々が全国には多数おられる。その人々が、ここに集って登壇された、というように理解します。
参加した議員各人がさらにそのことを市民各位に伝え、また議会で展開していくことの重要性を今一度確認して、感想とします。
以上